いつからいつまでが青春期などと、 春を時間的に定義できるものではな 。自分の生き方を模索している間が 青春なのである。それは人によって くもあれば、長くもある。はじめか 老成してしまっていて、青春など全 く持たない人も珍しくはない。どう うわけか、最近①その手の若者が増 ているような気がする。肉体は若く 、②精神は老いぼれた青年である。 間の常識から一歩も外れないような とばかり言い、そういう身の処し方 、生き方しかしようとしない。そう う人の人生は、精神的には墓場まで 直線の人生である。

恥なしの青春、失敗なしの青春など 青春の名に値しない。自分に忠実に きようとするほど、恥も失敗もより 多くなるのが通例である。若者の前 はあらゆる可能性が開けているなど 言われるが、この「あらゆる可能性 」には、失敗の可能性もまた含まれ いることを忘れてはならない。先に べた精神だけが老化した青年という のは、実はこの失敗の可能性を前に て、足がすくんでしまった青年のこ である。彼らは口を開けば人生にチ ャレンジしない自分の生き方につい 、いろいろ聞いたふうのことを言う もしれない。しかし、真実は、彼は 人生を前にして足がすくんでしまっ いるというごく単純なことなのだ。
(立花隆「青春漂流」による。)
問1 ①「その手の若者」の「手」と同じ い方をしているのはどれか。
1 手が足りないから、人を呼んできて
2 この手の骨董品は値段があってない うなものです。
3 ほんとうに手のかかる子だね。
4 私を騙そうたって無理。その手はく ないよ。

問2 ②「精神は老いぼれた青年」とある 、筆者はどうしてそのような青年に ると考えているか。
1 自分の生き方を模索したことがない ら。
2 世間の常識を大切にしているから。
3 自分にチャレンジして、失敗するこ を恐れているから。
4 自分に忠実に生きようとしないから