一旦ケ一夕イを使い出すと、誰しも いへん奇妙な感覚に襲われるようだ ①常に自分の側に置いておかないと 、落ちつかない気分になる。大事な はメッセージではない。それどころ メッセージが来るかどうかというこ とですらない。メッセージがもたら れるチャンネルが確保されているか うか、という点に関心があるようだ 。

一昔前までの社会生活であれば、人 は顔と顔を合わせて、互いに自分た の情報や考えを交換し、共通点を見 出しては共感したり、連帯感を抱い り、あるいは反発しあったりするの 普通だった。②だが、今は違う。メ ッセージなど大した意味を持たない どこかに帰属しているという認識を てなくなり、規範や共有できる価値 観を失った現代人は、他者とのつな りを求めて、無数の外部の他者を結 つけている媒体にすがりつくことと なる。このケータイは膨大な人間を ットワークに包んでおり、無数の他 と同じ対象を見たり、聞いたり、情 報を共有している。この同じ回路を 有しているということで、自己の帰 欲求を満足させようとしているので ある。だから、ケ一夕イという他者 共有するチャンネルがないと、人は 安に陥るのである。
(正高信男「ケータイ依存で退化し 日本人」より)
問1 ①「常に自分のそばに置いておかな と、落ちつかない気分になる。」と るが、それはなぜか。
1 ケータイがないと、様々な新しい情 が手に入らなくなるから。
2 ケータイがないのは、他者と自分を びつける回路がないのと同じだから
3 ケータイという媒体がないと、他者 メッセージが送れないから。
4 ケータイがないと、他者と同じ対象 見たり聞いたりできないから。
問2 ②「だが、今は違う。」とあるが、 前に比べて、どこがどう変わったの 。
1 異なる考えの人を避け、同じ考えを つ人との交流しかしなくなった。
2 情報選択の幅も広がり、価値観やラ フスタイルも多様化した。
3 人と人の生身のつながりが薄れ、ケ タイが他者とつながる回路となった
4 技術進歩のおかげで、個と個が顔を わせずに情報交換できるようになっ 。