「今度の日曜日に、お宅にうかがっ もよろしいでしょうか」人を訪問し い時、相手の都合を聞くのによくこ ういう言い方をします。

何でも平等という人が多くなって、 常、身のまわりから次第に影が薄く ってきているものの一つに、こうし た謙譲語があります。相手よりも自 の方を低目に扱う姿勢をあらわしま が、これを一概に、媚びとか屈従、 被支配に結びつけるのはどうかと思 ます。学歴、職歴を問わず、人生の 苦に長年月耐えて生きてきた人に対 する物言いは、同年の者への物言い は異なるのが自然ではないでしょう 。謙譲を支えるのは、たとえばこの ような、内から自然に湧き出してく 「敬い」の気持ちのはずだと思うの す。謙譲語が使われなくなると言う ことは、人を気づかうとか「敬い」 気持ちとかが失われていくことのよ に思えるのです。

言葉は意味が通じさえすればいいと うのものではないと思います。日常 言葉には、そのまま、(  ①  )と気づいてから、私には言葉をめ る楽しさも増えたかわりに、不安も 恐ろしさも増えました。
(竹西寛子「国語の時間」より)
・影が薄くなる:あまり目立たなな なる。
・キャリア:(職業・生涯の)経歴 専門的技能を要する職業。

問1 ( ① )に入る文はどれか。
1 人それぞれの生き方が表れている
2 経済的な豊かさを測る基準である
3 その人のキャリアや経験が表れる
4 生まれ育ちのよし悪しが表れる

問2 謙譲語に対する筆者の考え方と合っ いるものはどれか。
1 謙譲語しだいに使われなくなったの 、社会が平等になったからである。
2 謙譲語の使用は目上の人に対する礼 であり、守るべき日本の美徳である
3 謙譲語とは、内から自然に湧き出し くる「敬い」の気持ちの現れである
4 媚びや屈従の謙譲語は使うべきでは いが、「敬い」の謙譲語は使うべき 。