わたしたちは、日常的な感覚として 「わたし」と「あなた」或いは「わ し以外の人」の間に①しきりがある ことを知っているし、また感じてい 。

 もちろん幼い時代には、母親のよ な存在は、「わたし」と共有する部 をもっており、分かち難い存在のよ うに感じられている。何も話さなく も、理解してくれていると幼い子ど は感じている。ところが何かのきっ かけで、母親さえも自分と感じたり えたりしていることを共有しあって いないということに気づく。つまり 、理解し合うにはお互いに(  ②  )が必要であることに気づくので る。言い換えれば、どのような人も それぞれがしきられている「他者」 あることに気づくのである。

 何らかの言葉によるコミュニケー ョンが必要であるのは、「わたし」 「他者」との間にしきりがあるから だ。では、言葉はそのしきりを取り うことができるのだろうか。残念な ら、言葉の存在そのものがどこまで もしきりの存在を前提にしており、 のしきりを「透明」なものにするこ は不可能である。私たちはどこまで もコミュニケーション不能の部分を えているからこそ、コミュニケーシ ンし続けるのである。

(柏木博『「しきり」の文化論』< 談 >より)
問1 ①「しきり」をほかの言葉で い換えるとしたら、どれが一番いい 。
1 床      2 屋根      3 壁      4 ドア

問2 (  ②  )に入る文はど か。
1 何も話さなくても、理解しあえ こと。  
2 言葉によってコミュニケーショ すること。
3 「わたし」と「他者」との間に きりがあること。
4 お互いにしきりを「透明」なも にすること。

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